・2001/10/13,14の反省文(by 山口)
乗鞍岳をバックに記念写真
今回は、13日と14日の2日間で"監督発案@濁河温泉ツアー"に行ってきました。
今回はレースとは全然関係無く、ただの慰安旅行と聞いていたので、久しぶりにのんびり出来ると思い、楽しみにしていました。

13日の13:00に飛騨小坂の駅で集合のはずなのに待っていても誰もこない。
あ〜、またかと思って待っている頃にみんなが集まり出しました。
駅の駐車場より、近くにある道の駅"はなもも"の方が車を止めておくのに便利ということで、ちょこっと移動して、準備して、14:00頃に出発。

この日の予定は、道の駅から濁河温泉(標高1800m!!)までの35kmをひたすら登って、"誰かが"荷物を取りに下って、夜は温泉&宴会で騒ぐというスケジュールになっていました。

この濁河温泉までの登りは、最初の3kmぐらいはよかったのですが、その後は8〜10%の登りが続いて本当にきつかったです。

途中でふと横にいたマルを見ると、なんだか足がイイ感じで回っていました。
「コイツ調子いいのかな?」と思いつつよく見てみると、26Tのギアが付いていました。
「俺も付けてくればよかった」と思いっきり後悔しつつ、23Tのギアを「これは筋トレなんだ」と自分に言い聞かせて60回転ぐらいで喘ぎながら登っていきました。
そして、ひたすら我慢すること1時間40分、ようやく濁河温泉の入り口に到着しました。
その後、"実業団ランキングが一番上"という理由で僕が道の駅まで下って、車を取ってくることになりました。

うれしいような騙されたような変な気分で下っていると(この下り、サイコーに楽しかったです)、後から遅れてくる予定だった割石さんを発見。
「後で迎えに行きますから」と言って、車まで戻り準備していると周りはどんどん暗くなってきて、あっという間に真っ暗に。
こりゃイカンと思い、マルのワゴンRでアクセル全開で登っていると、暗闇の中に泣きそうな顔した割石さんを発見。
自転車を積んで宿へ向かい、7:30頃に宿に着くと、もうみんなナベを囲んで食事していました。
腹が減っていたので、ナベや鹿肉(初めて食った)を食べまくり、その後"日本で一番標高の高い"露天風呂に入ってのんびりしていました。

露天風呂では渡辺さんと話し込んでしまい、自転車の話し⇒星の話し⇒モータースポーツの話しと1時間ぐらいずっと喋っていました。
部屋に戻ってからは、酒を飲んだり星を見に行ったり(ホントに綺麗でした)して、ノンビリ過ごして12時ぐらいに寝ました。

翌日は、7:30頃に起きて朝風呂に行ったのですが、これがまた気持ちよく"極楽"でした。
朝食を取って、ジャージに着替えて、宿を10:00に出発。
この日は、みんなの後ろに荷物車(マル@ワゴンR)が付いていくことになり、真美さんがメガホン持って運転することになりました。

今日の予定は、宿のある濁河温泉〜チャオ御岳スキー場〜R361へひたすら下る〜高根村〜朝日村〜鈴蘭峠〜スタート地点の道の駅"はなもも"というコース。

走り始めて30分、チャオ御岳スキー場に付いたところでいきなり"休憩"することになり、ウインナーコーヒーを飲みながら乗鞍岳を見ながら、まったりと過ごしていました。
↓↓チャオで休憩中。↓↓
いや〜、思いっきりのんびりしちゃいました。
1時間ほど休憩してから、まずは361号線に向かって下り始めました。
この下り、寒かったけど木々が紅葉していたりして途中の景色がとても綺麗でした。

下りきって国道に出てからは、高根村・朝日村を通り鈴蘭高原にむけて調子よく走っていました。

話しがそれますが、この361号から野麦峠にかけての道は3年ほど前の夏に行われた"和波師匠の夏合宿"で走った道です。
あの"話すも涙、聞くも涙"の地獄のツーリングを思いだしたのは僕だけではないはずです。
あのツーリングの辛さに比べたら、レースなんて...

話しを戻します。
朝日村を過ぎて権現トンネルを越えて、登り用の服装に着替えてから、この日のメインイベント?の鈴蘭峠に登り始めました。

↓↓こんな感じで走っていました↓↓
機材車(後ろのワゴンR)があると、とっても楽です。

この鈴蘭峠、昨日の濁河温泉までの登りに比べると屁みたいなもんでした。
と言いたいところですが、僕は途中で切れてしまい、景色を見ながらのんびり下っていました。
とりあえず頂上っぽいところまで行ってから、引き返して寺田さん・真美さんと一緒に登って、頂上のコンビニ?で休憩。
クッキーを買って食べていると、真美さんがなんと"金ちゃんヌードル"を食ってました。
えらいもん食ってんな〜と見ていると、それにつられて割石さんまで食ってました。
(おまけに帰りの車中で寺田さんまで"金ちゃんヌードル"食ってました)
金ちゃんヌードルには女性を引きつける"何か"があるのでしょうか?
明日から、"金ちゃんヌードル"を師と仰ぎ、毎日食べてその"何か"を授かりたいと思います。

↓↓鈴蘭峠で記念撮影↓↓
寒かった〜

鈴蘭峠からは、ひたすら下りまくって、15:00頃に出発地の道の駅に到着しました。

今回のツーリング、レースじゃなかったので久しぶりにノンビリと練習できました。
宿の料理うまかったし、温泉気持ちよかったし、星空綺麗だったし、いい練習できたのでとても楽しかったです。

今回のツーリング、みんなに連絡するのが遅くなってしまい、「もっと早く言ってくれれば行けたのに...」という人がたくさんいました。
反省します。
というわけで、年末までにMTBツーリング&バーベキュー(またはナベ)大会をやろうと思っています。
みなさん、なんかいいアイディアあったら教えてください。

あっ、それと、スキーツアーも誰か考えてください。


・2001/10/13,14の反省文(by 井原さん)
JCRC第8戦 10/13,14(土.日) 
         100kmアートスポーツ OD BOX杯 群馬CSC

今回は私なりの鈴鹿の反省から終了時点の8/末からJCRC群馬戦へ一人でででも遠征しようと思っての参加でした。

それなのに、前々日より風邪気味となり時間とともに悪化する一方であり、このままでは土曜早朝出発しては、レースに望めんと思い、金曜のPM出発して車中泊して体を労わろうということなった。

それにあわせ0℃〜対応の寝袋を購入して準備万端である。
それが労わり?そして、どうぜ一人だしこの時点で止めるのが普通だったかもしれない。と改めて反省文を書いている中で思っています。

道中明らかにこの辺に比べ“ただ今の気温”表示が低い温度を示しているし、こんなんで寝たら永遠の眠りへなんて悪いことも頭に浮かぶ。

宿は群馬CSCの横の道端。街灯も無くあたりは真っ暗。でも、私の久しぶりにきれいな星空みました。

第一日目(土)

不得意なコースレイアウトだし、少しでも試走をと思い、11:30〜の試走に即走り出し意気込みを見せるも、咳は出るし、体も重いなと自分の都合の良いように思っていた。

すると、後ろからフィリップさんに話し掛けられました。その時、小澤さんも来ていることを聞く。
でも、自分自身試走ペースにも付いて行けずコリャだめだと一層思いを深める。

100KMは、全クラスが時差スタートでコースインしていきます。
A,Bクラスがスタート地点に行く時小澤さんを見つけ声を掛けてしまった。律儀にも寄ってきてくれて結果としてスタート最後尾のほうになってしまったようだ。
あまり体制には影響ないかもしれないが申し訳ないことをしたと反省。

スタート前、前方では歓声が沸く。急遽かアンカー、シマノ等の面々が3分遅れのスタートと決まり、何人かが後方にやってきて私の後ろに位置する。
面々は、同じSクラスとの3分のハンデ、所々に発生する集団のパス等レース展開を予想してか、橋川さんが、“この面々は50kmまではアタックしない等”事務局に交渉に行くがあえなく撃沈だった模様。

プロたち面々は、私のクラスとは一分差でした。でも、1周目で既にあっという間の出来事でプロたちは抜き去っていきました。

自分はというとなんとか1周目は集団についてきましたが、2周目のヘアピンの次のコーナーで落車があり、中切れしてました。
でもなんとが10人程がまとまって数周走っていると、Sクラスの第1集団4,5人が抜き去った後、ほんのちょっとしてフィリップさんを先頭に第2集団の4,5人が抜いていきました。

その後、Sの大集団、Aの集団に抜き去られました。その時小澤さんは発見できず。抜いていく面々の様子を少しでも見ることができ余裕が見られる。
結果としてもっと頑張れるはずなのか!?

その後、1分後にスタートしたクラスのトップ数人にも抜かれ、それから除々に集団がバラけて結果として3人になりました。
今の自分のペースが合いなんとか走りつづけれました。降格の境目となる10周前に心臓破りの坂での観客からは“Cの集団とは5分差、頑張れば完走できる”と言われてました。

3人はホッとすると共にもっと頑張ろうと心新たに踏みました。その後、S・Aの大集団に混じった同クラスの人を一人発見。

“これって周回遅れ”と半分疑問に思いながら走っているとオフィフャルバイクが近くに寄って来て“キャップ外して”と指示された次第です。
急転直下のリタイヤとなってしまった。その後、小澤さんに声を掛けられ抜かされていきました。とりあえず、3人で“お疲れ様”と声を掛け合いレースを終了しました。

着替えてコース脇に行くと小澤さんも途中リタイヤとなったらしく、コース脇で発見し、レース模様の観戦となりました。

<不慣れなデジカメで不慣れなシチュエーションで撮った豆粒のような最周回17周目に入る前の集団・・フィリップさんが写っている。分ります?)

Sクラスはシマノ狩野さんが独走で入ってきて、そのあとバラバラと来て、Sの集団が通り過ぎ、次にフィリップさんいるとは思ったのですが、見つけられず肝心のカメラに収まっていません。

小澤さん談によるとフィリップさんは三十数位だったようです。
その場ではフィリップさんはもっと後ろじゃないのという感じで話してました。JCRC結果速報を確認したところ結果当たっていたのでちょっとした時間の中でバラバラとゴールしてそんなに見ている感じじゃなかったのでちょっと感心。
レース後フィリップさんは、このレースでの教訓からか既に沖縄の作戦を立てて披露してました。(誰が見ているかわからないので内容は秘密)
宿では、数人の相部屋の予定だったのですが、風邪もひいているし、同室の方にも申し訳ないので空いていた研修室(約2,30人は寝られる大きさの大広間)で一人寝ることとなる。
風呂は、入るのが早すぎてほとんど水状態。
一人ビールを飲んで、今度は熱い風呂に入って寝た。
第二日目(日)
本日はハンデ戦。D、C、B、A、Sと2分間隔でスタートし、全クラスひっくるめての順位付のルールである。

昨日レース上位の面々はBクラスになったので全体的にペースが落ちたのか何とか終止集団の中で走ることができた。
走りの中で余裕もあったが、前方を走っているDクラスとの差もなかなか縮まらず、もっとペースを上げないと思っていたが、自分自身前に出てひくまでの力は無し。

そうこうしているうちにBクラスが追いついてきてペースがあがる。ココは踏ん張りどころと集団後尾近辺まで落ちるが、何とか集団にとどまることができた。
最周回の心臓破りの坂でSクラスのトップがペース早く抜かしていく。
坂頂上付近でS,Aクラスの集団も追いつき混在した状態となりそのまま集団後方でのゴールでした。(井原でした。)


・2001/10/13,14の反省文(by 小澤さん)
レースレポート

10月13日(土)
JCRCシリ−ズ第8戦
@群馬CSC 群馬 距離:102km(6km*17)

2週間後のJapanCupか、それとも4週間後のツール・ド・オキナワの為か
シマノ2人、BS4人、ラバネロ飯島さんも来ていた。この7人は当然Sクラスで走るが、
S(1分)A&B(1分)C&D(1分)その他←ここからのスタートとなった。
全体で300名近くになったためローリングスタートとなるが、
A&Bクラスは3周近くそのままのスピードで進んだ。

4周目に入ると後ろから「右を空けて!!」との橋川さんの声が聞こえると
集団50人ぐらいが左に避けつつ皆口々に「はぇー!!」とため息をつく。
何人かが橋川さん達にくらいつくも、あっという間に離されまた集団に戻る。
やっと集団のスピードがあがり始めたのもこの辺りからだった。

途中雲行きが怪しくなり、超小雨(合計100滴ほど)が降った。
スタート前はかなりの快晴だったから、そんな天気になるとは予想だにしなかった。
ただでさえ寒がりの小澤は、体の芯から冷え始めた。

11周目になりまた橋川さん達にラップされると、集団から何人かがついていった。
それとともに集団のスピードが急激にあがり、小澤はついにチギれた。
坂の途中で井原さんに声をかけつつ、リタイアはしたくなかったためゆっくりと走る。
結局14周したところで同クラスにラップされ、失格となる。
フィリップはSクラス第3集団で完走、井原さんは途中でちぎれた模様。

Sクラスはシマノ狩野さんが優勝、優勝賞品はキャンンデールを105で組んだ奴。
この賞品は誰か使うのか、それともオークションで売るのか、105はそのままか。
色々不思議に思ったが、フリースベストが参加賞だった僕は嬉しかった。

・・・ちなみに藤井さん、レースの申し込みを忘れていたらしい。

●今回のレース結果 (順位/完走人数/出走人数)
 フィリップ(フレンドレーシング)  38/47/71  クラス:S
 小澤   (フィトンチッドRT)  DNF/47/83  クラス:A&B
 井原さん (ViewPointRT)   DNF/13/99  クラス:C&D
・2001/10/21の反省文(by 山口)

今回は、大垣レーシング主催のピストイン大垣に出場しました。

今回の出場種目は、ケイリンとエリミネーションです。

いままで僕のピストについていたギアは48*15という超軽軽ギアだったので、レース会場で黒澤さんにギアを交換してもらい、49*14というフツーのギアにして準備万端にしてレースの開始を待ちました。

まずは、9:30からのエリミネーション予選に出場。
スタート直後にすぐに3位まで上がって、3周ほど走ると後ろが少し切れ気味だったので2番手の選手と少しペースをあげて走っていると、いつのまにか後ろが切れていました。
予選通過の7名の選手が決まった時点でレースが終了し、疲れることもなく決勝出場が決定。

30分ほどして、次はケイリンの予選です。
これも最初から前で走って、3位をGetして、決勝進出を決めました。

次の決勝までは時間があったので他のレースを見ていたのですが、1kmTTで真美さんが2位、マルが3位、渡辺さんが2位とみんな表彰台に上がっていました。
表彰台に上がっているみんなを見ていると、「自分もあがってやる」とやる気が出てきました。

そして、13:00よりエリミネーションの決勝。
和波師匠から「4コーナーで外側に行けよ」と教えてもらったので、そうしようと位置取りしたのですが、周りは現役の高校の選手で動こうにも前が詰まってなかなか自分の行きたい場所に行けず、5周でエリミネートされてしまいました。
体が疲れる前に終わってしまい不完全燃焼だったんで、次のケイリン準決勝では何とかいい走りをしようと思ったんですが...

ケイリンの準決勝は14:00にスタート。
中島と同じ組だったので「中島3番手、山口4番手で3コーナーでまくって2人で決勝進出!!」という作戦を立てたのですが、"山口選手の大失速事件(中島ゴメン)"により5位でゴールし、終わってしまいました。
中島は1位でゴールし決勝進出を決めました。
ゴール後に中島から聞いた「ケイリンは我慢!!」というのが、身に染みました。

その中島はというと、決勝ではさすがに疲れていたようで、8位でゴールしていました。

これで、すべてのレースが終わったので家に帰る予定だったのですが、BSの鈴木さんが来てくれて、みんなで飲みに行くことになりました。

↓↓大垣ケイリン場のトイレの前のおもちゃです↓↓
なめてかかると死にます。ホントに怖いです。一度お試しあれ。


Veloの近くのおでん屋さんで飲んだのですが、レース後で疲れていて飲んだせいなのかすぐに酔っ払ってしまい、みんな大変なことになっていました。

↓↓黒澤さん、渾身のアタック!!↓↓

参加メンバーは、Phytoncid・View・BIKESKUROSAWA・ANCHOR・FootWorkだったのですが、序盤のPhytoncid・Viewの軽いアタックで集団が活気付いてしまい、中盤以降はBIKESKUROSAWA・ANCHOR・FootWorkの熟年パワーによる度重なるアタックで、みんなかなり疲れていました。(だって、13人でピッチャー20個!!)

↓↓元オリンピック選手↓↓

でも、料理おいしかったしFootWorkの方とも色々話しが出来たのでとても楽しかったです。(今度、練習会参加させてもらいます)

それにしても、↑↑こんな↑↑楽しい人達がまわりにたくさんいて、ホントに自転車やっていて良かったなって思いました。

自分の成績はイマイチだったけど、他のメンバーはよかったみたいだし、楽しい1日を過ごせたので良かったです。


・2001/10/28の反省文(by 小澤さん)
10月27日(土)
JCRCシリ−ズ第9戦 第4回ジャパンカップ宇都宮大会
@宇都宮森林公園 宇都宮
クラス:A 距離:38.5km(14.1km*2+10.3km*1)

東北道事故渋滞のため、危うく欠場となるところだった。
スタートまで1時間も無く、鶴Cの上りのみ試走してレースに望む。

スタート直後からゆったりとしたスピードで上りに入っていく。
初めてレースで走ったけど、日の出不動より距離が短く楽だった。
どちらかというと鶴Cの上りの方がきつかった。

集団最後尾で上り終え、嫌いな下りを終えたら既に集団ははるか彼方。
平地でなんとか挽回したけど、田野町交差点を過ぎたあたりと萩の道の
緩やかな上りで全く踏むことが出来なかった。
2周回目には後続のB・C・Dにも抜かれてしまった。

激坂ではB以下の選手には負けない、平地も全部自分が引いた。
けど緩やかな上りをどうやって走っていいのか分からず混乱しまくり。
どうせちぎれてしまったし、沖縄に向けて練習しようと思ったが、
実業団クラスがスタート地点に並んでいてゴールできず。
タイムオーバーで失格となってしまった。

●今回のレース結果 (順位/完走/出走人数)
 小澤   (フィトンチッドRT)  DNF/41/48

2001JapanCup
@宇都宮森林公園 宇都宮
クラス:アマチュア男子 距離:66.7km(14.1km*4+10.3km*1)

JapanCupにはU23が出れないらしく、学生が多かった。
JPNが続く中、フィリップのが"BEL"となっていて国際レースっぽかった。

1周回を終えて戻ってきた先頭は10人前後、あまりにも少ない。
そんなに速そうにも見えないし…と思っていたら、下りで落車発生の模様。
フィリップは第4集団で戻ってきた。

その後も大きな展開は無く、始めに分裂した集団毎にレースを終え
第4集団の先頭67番目でゴールしたが、制限時間打切があるらしく
結果はHD=Hors delais=FAD=制限時間切でした。

●今回のレース結果 (順位/完走/出走人数)
 フィリップ(フレンドレーシング)  HD/27/150

・・・ちなみに藤井さん、レースに来なかった。眠かった・・・?


・2001/10/28の反省文:サポートカー同乗編(by 小澤さん)
2001JapanCup観戦記 =初めてのサポートカー=

フレンド商会の中野社長に付き添って、2001JapanCupの観戦に行ってきました。
駐車場はアンカートラックと同じ、ゴールまで75m地点。いいっすねぇ。
まずは今回お世話になるリジダDPXビアンキの監督・石黒さんに挨拶に行く。
昔実業団で走っていた人らしく、またスペイン語を話すので陽気な人だ。

「今日はギレムが行くよ。」
スタート前、石黒さんがしきりに言っていた。
石川で行われた全日本で優勝したスペイン人で、
一人だけBianchi EV4に乗っているエースだ。
(けどカンパのコーラスってところがいいね。)

一番人気はなんといってもランプレのシモーニ。
身長がとても低く165cmぐらい、足もとても細かった。
去年のガルゼッリに続いて今年もジロの優勝者が来るとは、
JapanCupはほんとにいいレースになってきたね。

石黒さんがサポートカーを運転、奥さんが後部右側。
中野社長は助手席に乗り、デジタルビデオで撮影しつつサポートの補助。
僕は2周回目だけ乗せてもらう事になった。
スタートライン直後の補給地点で後部左側に乗り込む。
サポートカーは走る順番が決まっていて、リジダDPXビアンキは2号車。
選手のすぐ後に審判車、1号車、2号車(ここ)、3号車…と隊列を作る。

上りで早くも愛三の選手が切れはじめていて、真横でもがいている。
思わず「がんばれ」と声をかけたが、ここはリジダDPXビアンキのサポートカー。
落ち着いて考えればそうなのだが、あんなに間近で見るとそうはいかない。

スバルから提供されたレガシー、腕に自信が無きゃあんな運転は無理ってほど突っ込む。
車内に積んだホイールをガシャガシャ揺らしながら、ようやく下りを終える。
すると審判車からの無線が聞こえ始めた。

(ピッ…ガガッ)
ヌーメロ カトー ブリジストン アンカ
[番号 14番 ブリジストン アンカー]

とフランス語で無線が入ると、
後方から右車線を1台のサポートカーが加速してきた。
ブリジストン アンカーの浅田監督だ。

ジャージを脱いでいるのだろうか?
あまりのスピードと揺れのためはっきりとは分からないが、
とにかくサポートしているのが分かった。
サポートを終えると左側に寄り、順番どおりになるように
後続のサポートカーが追い越していく。

またTEAM COASTの選手がパンクしており、ホイール交換もしていた。
選手がホイールを外して、メカニックがホイールを持って飛び出してきて…
っという間に遥か後方に過ぎ去っていく。
そんなサポートカーの隊列を縫うように、ちぎれた選手が復帰してきた。
ツールでよく見るあの光景だ。

そうこうしているうちに鶴Cの上りを終え、僕の初めてのサポートカー体験も終わった。
たった1周だけど生で見ることが出来て、本当に楽しかった。

レースはラスト3周、1人逃げていたPOST SWISSのマルティン エルミガーが捕まり、
ランプレのマッシモ コドルがカウンターアタック。それをCOFIDIS軍団5人が追い始める。
再度集団になったラスト1周手前で、シモーニの完璧なアタック。ランプレのチームプレーだね。
4時間16分58秒、2位に51秒差をつけて見事シモーニが優勝。
ランキング最上位者が優勝するってのは、95年まで3連覇したキャプーチ以来かな。
ギレムはラスト2周ぐらいからちぎれ始め、3分37秒遅れの11位だった。
5位から9位まで仲良くゴールしたCOFIDISは、全員がエース!?

・2001/11/04の反省文(by 山口)

↓↓井原さん提供の写真です↓↓
ありがとうございます

今回は、けいはんなクリテリウムに行ってきました。
このレースでは、去年は"途中で周回遅れの為に降ろされる"という悔しい思い出があったので、今年は何としても完走してやるという気持ちで一杯でした。

今回の参加メンバーとカテゴリー
    井原さん:C2(9周)
    真美さん:C4L(3周)
    僕・マル・健吾さん: C1(15周)

家を5:00に出発して、高速を走行中にマルと合流し、会場近くの精華学研ICには7:30頃に到着。

インターを降りてすぐの交差点を右に曲がれば会場に行けるのですが、何故かマルのワゴンRは左ウィンカーが点滅...(目の前に"会場は⇒"と書いた看板があるのに)
僕が右ウィンカーを出すと気が付いたようで、右ウィンカーに換えていました。
さすがです。
そろそろボーナスだし、「TIMEのカーボンフレーム欲しい」なんて言わないで、DVDナビを買ってくれ!

会場に到着し、受付を済ませてぶらぶらしていると"FootWork"の皆さんを発見。
これからアップに行くらしく、色々喋っていると後ろから「山口君じゃん」という声が。
振り向くと、大垣レーシングの和田さんでした。
いろいろと喋った後、みんなはアップに行ってしまったので、僕もそろそろ準備をすることにしました。

今回、僕・マル・健吾さんが出場するクラスはC1(Category 1の略だと思う。"カテワン"って言うと通っぽい)でスタートが11:15で、えらい時間があったのでノンビリしていました。

車まで戻ってボチボチ準備しようと思っていたのですが、まみさんが神様(キナン@安原さんです)に交渉して、会場からすぐ近くの駐車場に車を止めてもらえることになりました。
いや〜、さすがPhytoncidの監督!!。顔が広い!!。助かります。

マルのワゴンRに荷物とローラーを載せて来てもらい、スタート地点のすぐ近くでアップの準備が出来ました。

とはいうもののまだ時間があったので、真美さんと井原さんのレースを応援していました。
井原さんは、集団から送れてしまい頑張って走りつづけていたのですがゴール直前で降ろされてしまいました。
真美さんは前日の酒が残っていたようで、死にそうな顔して走って、14位でゴールしました。
また、FootWorkの方がC4のクラスで優勝していました。

他の人が走っている姿を見るとヤル気が出てきます。

10:00を過ぎて、そろそろ準備しなきゃと思い、車に戻って準備を始めました。
レーパンはいて、30分ほどローラーでアップして、着替えてから集合場所に向かいました。
京都車連恒例(最近はどこでもやってますが)のサインボードにサインをしてから「速そうな奴来てないかな〜」と周りを見まわすと、TESTACH・ANGLE・NAKAGAWAに混じって"MIYATA"ジャージを着た小さい選手が1人。
もしかしてと思いながら顔を見ると、あの"プチ山"選手でした。HPのプチ山日記ではジャパンカップに行くようなことが書いてあったので、なんでここにいるの?"って思ったんですが、トップレベルの走りが見れるいいチャンスだと思いスタートが待ち遠しくなりました。

そして、役員に誘導されスタート地点に着くと、もうスタート30秒前。
去年もこんな感じだったけど、これぐらいの方が緊張する暇もないので、逆にありがたいです。
なんて事を考えてるうちにスタート。

最後尾スタートだったので、スタート直後に集団前方に上がり、10位ぐらいの位置で1周目を終えました。
2周目に入ってすぐの登りで、"プチ山"と、どっかの大学生がアタック!!
このアタックで一気に集団のスピードが上がったのですが、集団の前方にいたおかげですんなり付いて行く事が出来、そのスピードのまま3周目まで走っていました。

そして4周目、前回と同じくスタート地点を過ぎた登りでまた、"プチ山"がアタック。
このアタックに付いて行けたのはTESTACHの選手だけで、みるみる間に差が開き次の周には差が14秒にまで広がっていました。

その後は、ホームストレートで他の選手と一緒に集団から抜け出して、前の集団を追ってみたのですが後少しという所で追いつくことが出来ませんでした。

"これは逃げられたかな?"と思いつつ周回を重ねていたのですが、今になって考えてみると下りの区間では少し差が詰まっていたから、周りの選手に声をかけて協力し合って前を追えば、何とか追いついたかもしれない。
何とか前の集団に追い付けば"プチ山"やTESTACHの選手と一緒に走れるわけだから、途中で切れてしまうとしても彼等から何かしら得るもの(走り方とかね)があるはず。
そう考えると、もう少し頭を使って走らないとって思います。

先頭との差が、約40秒のままレースは進み最終周回に入りました。
逃げ集団には入れなかったけど、この集団では"アタマを取ってやる"と思い5番手をキープして走っていたのですが、ここに来て急にふくらはぎがつり出しました。
でもここまで来てやめたくなかったので、無理やり脚を回してゴールスプリントへ。
ふくらはぎがつったせいでカクカク動く足首を無理やり回して、もがいて、結局自分のいた集団では8位でゴールしました。
全体での順位は16位。
去年の成績(リタイヤ)から考えれば良いのですが、あの逃げ集団に加われなかったのがとても悔しく感じました。

健吾さんは、途中で降ろされてしまいDNF、マルは23位でした。

このけいはんなで、今年のロードレースは終わってしまいました。
この1年間、今までとは違う気持ちでレースを走ってきて、自分の長所・短所がよく分かりました。
今年味わった悔しい思いを無駄にせずに、来年のシーズンインまでに徹底的にオフトレを行って、その思いを晴らしたいと思います。