・2002/08/03、04の反省文(審判編 by 勝野)
実業団丸岡 審判日記

 先週の木曜日突然の愛知車連からの電話、「今度の土日、ひま?丸岡に行ってくれない?」突然の欠員のため急遽、私、かつの審判員が丸岡実業団のお手伝いをすることに。しかも役割は関門と来た。初の実業団のお仕事、急とはいえ楽しみだ。役員は土曜の2時に集合だったが愛知車連から先陣が行っているため、あとからゆっくり来ても大丈夫とのことで名古屋を1時過ぎに出発。4時前に丸岡到着、合流。途中、真美さんに連絡。するとマルの車が途中で爆発炎上!?(実際どうなったんでしょうか?)マルと真美さんは名古屋へ引き返すとの情報を得る。やな予感。
 
 体育館前でそれなりにお手伝いをしていると健吾君を発見。小澤君はぎりぎり受付に間に合う。監督会議後、我々審判役員団は前夜祭で軽く宴会。焼き鳥、さざえ、そば、ビ−ル、酒で盛り上がる。しばらくして、とりあえず全員宿舎へ今回審判団は二手に分かれる。僕はシカゴビジネスホテルという丸岡でも古く汚い所で宿泊。実はここは以前丸岡にレ−スできていたときに、千円で泊まれる仮眠室があるのでよく利用していたところ。なぜか、僕には縁があるみたい。さて、審判団の食事はというとホテルから歩いて5分の国道8号線沿いにある「8番ら-めん」で食事。役員にはあらかじめ8番ら−めんの特別チケットが渡された。全員餃子セット・Aコ−ス。役員とはいってもいい食事はできないのです。そこへ神様、安原さんが仲間を連れて登場。今回はほとんど帰り際だったので軽く挨拶だけをして我々は先に店を出る。でも、今回の安原さんはいたってまじめ?それとも役員の前だけ?いたって普通の人でした。本当はホテルに戻ってから宴会が始まる予定だったのですが今回は中止。そのまま就寝。日曜は朝6時集合。

 日曜朝、軽くミ−ティングをし我々第一関門班は車で持ち場へ向かう。場所はゴ−ル近くの下りきったところ。走られた方は分かるはず。BR2、BR3、BR1の順にスタ−ト。BR2のマルと小澤君は無難にレ−スをこなしているみたい。その後BR3の集団通過後、しばらくすると7人くらいのちぎれた集団が...。もちろん失格。残念ながらそこで健吾君を捕獲してしまった。健吾君がちぎれるはずはないので、おそらく落車かなと思って聞いてみるとやはりそうだった。市民レ−スがスタ−トすると辺りは土砂降りとなる。唯一真美さんがエントリ−している。最後の方から男子を後ろに引き連れて走ってくる真美さんを発見。声をかけたが気づかなかった様子。客観的に見ると結構ク−ルな走りでしたよ。でも、ずぶぬれだったんでしょうね。ご苦労様です。

 今回市民レ−スは全く関係がなかったのですが、見ているとかなりマナ−の悪い方が見られましたね。一番最悪だったのは、ノ−ヘル、と、おそらくトライアスリ−トだと思うのですが海パンや袖なしジャ−ジで走っている選手。しかし、その点登録組みはしっかりしてましたね。さすがBR1は関門失格者が極端に少なかったです。一番多いのはやはりBR3。レベルの差が顕著に現れましたね。しかし今回はかなり貴重な経験をさせていただきました。普段の愛知車連のレ−ス運営とは天と地の差がありますね。あと、今回はせっかく丸岡に行ったのにチ−ムのメンバ−と会う機会が少なかったので残念でしたね。仕方ないのですが。結果は小澤君の15位が最高だったと思います。おそらく今年中にBR1にあがれるのじゃないのでしょうか。ポイントのことはよく分かりませんが。

 あと最後に実業団ちょ-、ちょ-裏情報。これはまだ未定でまだ計画段階なので、このことは誰にも言わないでください。来年もしかしたら丸岡から犬山までを走るレ−スが開催されるかも???これはほんと-に内緒です。可能性としてはまだ0%に近いのですが。来年BR1だったらそういったレ−スを走れるかも???僕が言ったなんて内緒ですよ。ほとんど誰も知りません。でも、実現できたらいいですね。丸岡の大会もこれだけ運営するのには地元の協力やいろいろな支援があるから運営できるのだと思います。あらためて選手の立場から見て感謝しますね。



・2002/08/03、04の反省文(実業団丸岡編 by こじゃわ)

「2002全日本実業団サイクルロードレース in 丸岡」

8/3(土)
 福井出身の会社の同僚マッキーが夏休みの為、一緒に帰省する。
 名古屋まで新幹線で行き、実家からクラウンで出発した。

 米原JCで監督から電話が入り、○のワゴンRが発煙の為米原駅にいるとの事。
 あと10秒遅かったら米原ICを通り過ぎてるところだったが、なんとか間に合った。
 ○からライセンス・クーラーボックス等を受取り、再び北陸道へ。
 受付終了まで1時間も無かったため160〜180km/hでパッシングしまくり、
 審判員の勝野君には「失格〜」と言われるものの、ギリギリ1分前に到着した。

 その後マッキー、その友達恵子先生、その同僚で宇宙からやってきた依ヨリ、
 補給に来てくれた角田さん、馬場さん、健吾くん、こじゃわ、
 そして遅れて到着した監督、○の9人で飲み始める。
 依ヨリと○の異性人コンビ、角田さんのボケ、等など2次会12時まで飲んでしまった。
 楽しすぎたのは良かったけど、食費がかさみすぎました。けど魚は旨かった。

8/4(日)
 ■ 7:00 BR-2(大周回3周=75km)
 サインしてアップして戻ってきたら既にスタート1分前で少し焦った。
 最後尾スタート、登り始めるまでに中盤をキープした。やはり前回のBR-3とは違い、
 平地のスピードのままトンネルを迎えたため、精神的に沈んでいたが足は軽かった。
 群馬カップ後に購入したチタンテープが思いのほか体にマッチしている。
 下りに入り若干ペースが落ち着き、補給所もスローペースで進む。
 今回は角田さんがわざわざ補給に来てくれたので、安心して走れました。

 2周目は大きな動きも無く、単調なペースでトンネルを迎えた。
 下って平地に入ると、それまであまり姿の見えなかった○が先頭まで上がっていった。
 暫くして集団内から「何人か逃げてるらしいぞ」と聞こえてくるので腰を上げると、
 ○を含む7人の集団が1分程逃げている。おぉいいねぇー。
 後から聞いたのだが逃げの集団に追いついた○は「よし、これでBR-1」と思ったらしい。
 集団の先頭では暫くお見合い状態が続いたが、痺れを切らして追いが始まった。
 40人ほどが一列棒状になり追い始めると、あっという間に差が詰まり始めた。

 逃げ集団は3周目の登り手前で吸収されたようだが、知らぬ間に2人がカウンターアタックしていた。
 依然先頭を引き続ける○だったが、登りのきつくなった所でさがり始めた。
 自分はステムを100mmから90mmに変えたこともあって登りが楽だったため、
 山でアタックし7人の先頭集団を形成してトンネルに入ることに成功した。
 自分はこの時点で「よし、これでBR-1」と思っていた。

 最終周のため殺気立っているのだろう、トンネル内で幾度となく落車の轟音が響き渡る。
 それを見た○曰く「ブレイクダンスのように皆回っていた」らしい。あぁ恐ろしい。
 先頭のまま下り終わり平地で後ろを振り返ると40人はいただろうか…。
 スプリントに備え20番手辺りまで下がり、TOJで3位だったセオの有薗君の後ろをキープした。
 彼もいいスプリントを持ってるからね。

 そのままの状態で最後の丘を迎えたが、かなり急激な蛇行があり避けきれず
 有薗君の後輪クイックレバーに、前輪が巻き込まれて浮いてしまった。
 そこまでは良かったが着地した瞬間、あれほど元気だった両足に電気が走り
 両足の全ての筋肉が一瞬にしてつってしまった。そんなっ(≧ロ≦)
 こんな時はタイガーウッズ理論「失敗は2秒だけ反省し、そして次の事を考える」
 落車もしなかった為、つった足をほぐす為軽いギアを選択し、徐々にギアを上げていく。
 最終左コーナーを曲がった時点で25番手辺りまで下がっていたが、
 隙間を探して残り200mまでに10番手まで上がりスプリントに入る。

 しかし53×15までしか回す事が出来ず、スピードが伸びないよっというままゴール…。
 有薗君は集団2位総合4位で入賞し、BR-1へ昇格した。TOJに続き完敗。
 前輪ホイールを確認するとスポークが曲がりフレまくってブレーキかかった状態だった。
 もしかしてシマノホイールだったからスポークを曲げるだけですんだかも。
 自分は1桁と思っていたが、さされまくって結局総合15位でした。残念(T_T)
 ○は集団ゴールで58位、山で追いつかれた時に終わったらしい。
 暫くゴールを見ていると、サドルが無くダンシング状態で大垣Rの市川さんが戻ってきた。
 落車を避けたらなぜかカーボンのシートピラーが折れたらしい。最近ついてないですね。

 BR-3ではスタート直後に健吾君が落車に巻き込まれ、補給係をしてくれました。
 馬場さんは最後の丘で目の前の選手の単独落車に突っ込んでしまいストップ、
 先頭から1分遅れでゴールとなり非常に悔しがっていた。
 突然降り出した雨の中で監督は、トンネル手前の手前の坂まで集団にいたが
 ちぎれてしまったらしい。けどその方が落車よりいいですよ。
 あれっ!?金山さんも来てたけど…、レース後にあってないんでわかりません。
 そして最後、BR-1で藤井くんのゴールを待っていたが現れなかった。
 完走55人だからレベルが違うんかな…と思っていたが、ダム最終周回で落車、
 ディレーラーが壊れて惜しくもリタイアしたらしい。やっぱ彼は強い。

 その後高速渋滞30キロ、新幹線大雨のためストップという災難が続き、
 0時過ぎようやく家に到着。ほんとに楽しく疲れたレースでした。



・2002/08/24、25の反省文(全日本実業団編 by こじゃわ)


「第36回全日本実業団対抗サイクルロードレース大会」

8/24(土)
 真規ちゃんと7時20分に東京駅で待ち合わせ。JR東日本の「電車とレンタカー」のセット物で、かなり割安。長野駅でデミオにビアンキを詰め込み10時前には現地小川村役場に到着。渋滞もなくかなりお奨め。受付を済ませてから井原さん・健吾君と共に監督会議出席。スタート30分前になってようやく○が到着、間に合わないかと思ったよ。

 ■13:00 BR-2(3.5周=60.4km)
 大垣Rの市川さんと○の三人で最後尾に並び、人口3600人の小川村役場近辺のパレード走行を楽しむ。町並みを抜けると軽い丘に入るが、赤旗パレード中にも関わらず猛烈なスピードで進み始める。赤旗が降ろされると4・5人のアタックが始まる。登りがきつくなった辺りで集団が止まったように遅くなったので、ランスの如き回転力でごっそりと抜きまくり前に出る。○曰く、おかしな回転の人がいるなぁと見ていたらこじゃわだったようだ。前方を見るとまだフィリップがいたので追いかけ、頂上手前1kmで追い抜いた。そのまま頂上通過し、監督からボトルを受け取り下りに入る。先頭からは1分遅れと聞き、50番手辺りかと思っていたが10番前後で通過していた模様。下りは栂池と違い広くまたなだらかなため、かなり踏み込まなくてはいけない。体重もビアンキも軽いため、フィリップを含む10人程度に抜かれてしまう。

 2周目登りに入りフィリップ集団を引いていたが皆離れ始めたので先へ急ぐことにした。ランス回転力で頂上手前2kmまで行ったが、急に腰が痛み始めフィリップ集団に抜かれてしまった。なんとか登り終わり下り始めるが、ジンジンと腰が痛み踏み込めず惰性で下るしかなかった。3周目の登りに入ったところで、もう限界。足はむちゃくちゃ元気だが、上半身を支えることが出来ないためダンシングも回転もさせることが出来なくなる。結局のぼりの途中で広報車にタイムアウトを宣告され、回収車に乗り込んだ。○は2周目の頂上手前でタイムアウトになった模様。

 頂上で降ろされ補給地点でうなだれていると、BR-2の選手がゴールし始めた。予想通りBR-2の優勝者は栂池で総合24位だったALPHAWKの中里聡史選手。入賞者は栂池決勝進出者が多く自分も絶対に入賞できると考えていただけに、めちゃくちゃ悔しかった。しかもフィリップが14位で賞金GET、スピードでは負けていなかったのに・・・。

 今回の反省点は、足ばかり鍛えすぎて背筋・腕などの鍛錬を忘れていたこと。それに事前にコースの試走をしていれば背筋の弱さを気づけたかもしれない。これからはもっとトータルで体を鍛え直し、初めてのコースは出来る限り試走をしようと思う。その後のBR-3。健吾は2周目の第一関門で、馬場さんは2周目あと少しだったが頂上でタイムアウトとなり、フィトンチッドRTは全滅ポイント無し。完走はBR-2:28人、BR-3:31人、ほんとに過酷なレースでした。

 小川村は村を上げてのイベントだったようで、コース上に何十人もビデオカメラマンがいた。レース後カメラマンと雑談していた時に『こんないいコースは他には無い、ぜひ来年も走りたい』と言うと、カメラを回すからもう一度その台詞をお願いと頼まれる。綾野さんは、子供リポーター2人からインタビューされて、とても微笑ましかった。白馬のペンションまで移動。食事・入浴と急いで済まてからビール・ワイン等買出しに行き、色々と話し込む。監督・真規ちゃんが撃沈してから男3人でフレーム談義に花が咲くが、こじゃわも腰痛のため沈みかけたところでお開きとなる。

8/25(日)
 朝食を済ませ、BR-1スタート時間9:00に山頂に到着。前日からラバネロ・お母さんと監督が親しくなっていたため、本日もラバネロの横に陣取らせていただく。これも藤井君・フィリップ効果?メンバにはBR-1がいない為、お気落極楽観戦モード。広報車が登ってくると周囲がざわつき始め、サポート体制完了。奥からBS・オルベア・ミヤタ・ラバネロ・愛三といった面々が並ぶ。先頭は愛三・田中選手とシマノ・狩野選手。30秒遅れてシマノ・阿部選手、ラバネロ・飯島選手など。そして1分30秒遅れてわれらが藤井君が登場!! おぉーがんばれっ。1周目通過後前日飲めなかったワインを開ける。綾野さんにもおすそ分け。○の願いもあって真鍋選手を激写せよとの監督命令が下ったので、綾野さんに負けないよう真鍋選手を激写しました。

 藤井君は4周目の登りでタイムアウト、さすがにきつかった模様。しかもLOOKカーボンが割れたためTACCHIUOでの参戦で苦しんでいた。レースは最終の下りを独り抜け出したラバネロ・飯島選手が登りも独走しそのままゴール!!相変わらず強い。その後ゴールしてきた3位の阿部選手が2位の狩野選手の頭を"だから言っただろっ"て感じでコツいてました。BR-1完走21人。





・2002/08/15、16の反省文(岐阜国体予選編 by 勝野)

「岐阜国体予選」

8/15(木) 初めて地元の国体予選に行って来ました。(京都国体予選は出場経験あり)国体予選といっても国体選手に選ばれることは100%有り得ないので、あくまで自己ベストを出すことを目的に行って来ました。この日お盆ということもあって、わざわざ千葉から岩田さんが応援に駆けつけてきてくれました。岩田さんの奥さんが春日井出身ということで、GWやお盆などにはこちらに来る機会があるということです。

今回の国体予選は、岐阜競輪場で行われました。僕の出場種目は1kTTと3k個人追抜き。初日の今日は全員参加の1kTTだけ。個抜きは次の日の16日。目標は、とりあえず東日本の記録を抜くこと。結果は1分18秒台、自己新は出たけど15秒台が目標だったのでがっくり。納得がいかず、その日帰ってから18日に行われた名古屋の大会に急遽申し込む。この日は、弁当をもらって食べてそのまま帰宅。

8/16(金) この日は、3k個人追抜き。相手は現役高校生。東日本のときは、途中で降ろされてしまったのでこの種目は3kとはいえ、まだ自信がない。とりあえず完走と、そして目標タイムは4分に設定した。途中、この日普及大会に参加した中島が「そのまま!そのまま!」と叫んで教えてくれたので、相手にリ−ドしていることは理解できた。この応援は、非常に有難かった。しかし、最後、相手が追い上げたのかこちらが黄金のタレを見せたのか約一秒差で負けてしまった。今回、相手のことはほとんど気にしてなかったが、やはり負けると悔しい。いつも思うけど、あそこでもっとがんばっておけば良かったと思ってしまう。これはおそらく苦しいけど、全力で走りきってないからだと思う。で、結果のタイムは4分5秒。目標にはちょっと及ばなかったが、今回、自分の実力が分からず、最悪4分20秒くらいを想像していたので、ちょっと自信がつきました。

で、普及大会に出場した中島はというと、まず、朝の受付のときに山田冨美男さんに受付されてませんと言われてしまう。つまり申し込んでなかったのである。自分で申し込んどいてねと言ったのに...。ちょうど空きがあったので、無理を言って出場させてもらうことに。スプリントとケイリンに出場。最初のハロンは12秒くらい?だったらしい。まずまず。今回は予選落ちは無いので安心。ケイリンの予選も順当に勝ちあがる。が、走り終わるたびに悲鳴を上げる中島。毎回次は走れん!と、言っておきながら本番になるとやる気になる。ちょっと勝負師の一面を垣間見た気がするね。スプリントの
1/4決勝から3本勝負になり、中島の体調が気になる。この日はとても暑くバンク上の気温は36度を超えていた。結局中島は、3位4位決定戦でブレッツアの外勢さんに負け4位。ケイリンは決勝でなだれ込みながら5位と言う結果に。ちなみに僕の個人追抜きは20人中7位でした。さて、また鍛えなおして世界記録に挑みます。



・2002/08/03、04の反省文(実業団丸岡編 by まみ監督)

全実ロードin丸岡 〜 ドラマ編 〜

毎年恒例の丸岡。
実業団レースであるが、市民ロードレースも同時に開催される。
私達は実業団活動を始める以前から、この貴重な公道レースに参加していたので非常に馴染み深い。
実業団はスタートがAM07:00〜と早いので私達は前泊することで今回の予定を立ててある。
昨年の激安でありながらもなかなかキレイでコンドミニアム+αのようなホテルは某宗教団体に占拠されていたため、
ひとつ思考を変えてかの有名な永平寺で宿を手配した。
レース開催日前の週末、「現地で会いましょう」といろいろな人からのメールが飛び交う。
そう。丸岡は実業団関係の人達や、地元のクラブチームの人達、神様、いろいろな人達に会える楽しみなイベント。
「前日の受付で・・・」と皆様には返信メール済み。

8月3日(土)前日、移動日。
この日は受付や監督会議等の諸手続を行なうのみである。
丸岡は、思いきりテリトリー内、たやすい距離であるので大して起床時間も決めずに寝ていた。
AM10:00頃、「北陸道と東海北陸道、どっち使うのがいいッスかぁ?」
と出井くん(セオレーシング)の電話で起こされた。
確かにそろそろ出発準備の時間。
余裕で準備、いつものようにワゴンRへ荷物を詰め込み、さぁ出発!という時に
「・・・。」急に不安がよぎった。
天気は快晴、例年のように暑くなりそうな丸岡、先日エアコンが効かなくなったワゴンR、大丈夫なのか?
「今回、私の車で行ってもいいよ。」と私。
「えっ、なんで?大丈夫だよー、もう治ったって言ってるし。」と○ちゃん。
確かにそうなんだけど、”治った”って別に修理をしたワケではない。
○ちゃんが言うには”勝手に治った(by兼ちゃんのお父さん)”らしい。
私的には修理の解説はともかくとして、直接異常を見ているだけに、ちょっとワゴンRに不信感を抱いている。
まぁ、でも「大丈夫」と言われているらしいし、確かに最近エアコン効いているし、ま、いいか−。
ワゴンRで行くことにした。

高速道路、車の流れは順調、エアコン快適、BGMゴキゲン♪ スムーズに名神を走る。
試走をしたいから、やや急ぎ気味。でも100〜110Kmくらいのスピードだった。
養老SAを過ぎ、これから関ヶ原付近は登りが続く。
二つ目くらいの登りにさしかかった辺りで、「・・・あれ?!」っと思った。
やや、水温が上がり気味である。微妙に、だけど、確実にいつもより上がり気味である。
(あの時と同じだ!しばらくするとエアコンが効かなくなるはず・・・)
思ったとおり、エアコンがなまぬる〜くなってきた。
「○ちゃん、水温が・・・」
「ホントだ!とりあえず登りはエアコン切って、エンジンに負担をかけないようにしよう。」
(これは前回の応急処置方法を兼ちゃんのお父さんに教えてもらった)

うだ〜るような暑さの中、早くも関ヶ原でエアコン制限。
ゴキゲンなドライブは一変して不快なドライブとなった。
でも、もう後戻りするほど時間的余裕は無い。誤魔化しながら前進するしか無い。
誤魔化し走行も慣れてきた頃、北陸道分岐の米原JCへ入った。

検札で並んで一時停止、ほっとする。「ちょっとエンジン休ませられるね。」なんて話してた。
突然、車内に排気ガスのイヤな臭い。
「○ちゃん、外気にしてるでしょー、臭い〜」と室内気に切り換えようとして見ると、あれ?室内気だ。
すると、その時
「あれ?!!もの凄い!」と○ちゃんが叫んだ!
バックミラーを見ると、真っ黒な煙が物凄い勢いで後から吹き出している!!
辺りの空気が黒い!何度が見たことのある火事現場の煙と全く同じ!
「うわっ!ヤバイっ!!」
慌てて検札前で隅へ寄せた。
黒煙はもくもくと出続けている、皆が一旦停止するところだから、かなり注目を浴びている。
(はずかしいぃぃ、、、、、)
とりあえず、このまま1ミリでも動かしていいのか?この車
またまた○ちゃん、兼ちゃんのお父さんにTELして相談、、、その間、煙の勢いは変わらず、もう火が出そう。

切羽詰った中、意外に長々と相談の後、どうやら少しは動かしてもよいとの判断。
私が思いついたのは、米原で降りて電車で戻り、私の車を取って来ようということだった。
その時、「大丈夫ですか?」と黄色いランプをつけたJH号が来た。
なんと言うかラッキーなのだが、「またか・・・」って感じ
JHの人達に米原の車屋さんとか駅までの距離とか教えてもらい、とりあえず高速を降りた。

米原駅まではほんの少し走るだけ、だけど、バックミラーが見えないくらい出続ける黒煙、もの凄く怖い゜゜゜
通りに出たところで、更にもの凄い黒煙が吹き出し、恐怖に耐えられなくなった私達は目の前のGSへかけこんだ。
黒煙を迷惑そうに見ながらスタンドの人が、後を指差して
「ウチじゃ見れんから、そこへ行って。」
ラッキー♪車屋さんが向かい側にあった!!

結果、これ以上動かさない方がいいと言われ、車は緊急入院。
親切な車屋さんで、車を取りに電車で戻る私を駅まで送ってくれて、更にその間○ちゃんの遊び相手もしてくれた♪
とことんツイてないようで、いつも誰かに助けてもらってる。
とりあず受付に間に合わんことを皆にTELしまくって、なんと偶然米原を通過するこじゃわをGet!
荷物を運んでもらう、これでこの一件は何とか片付いたーーーーーーっ゜゜゜゜゜ふぅ゜゜゜

数日後、預けた車屋さんに診断の結果と見積を聞いた。
修理代は、もう継続するには多額すぎる額が言い渡され、○ちゃんは手放す決心をしたらしい。
実業団活動を始めて1年半、ほぼ全レース苦楽を共にしてきたワゴンR、それがかえって寿命を縮めてしまった。
スクラッフになるのか、新しい人生を歩むことになるのかわからないが、安らかに・・・
そして、ありがとう−涙

※去年の丸岡はフィリップの車、今年はワゴンR。2台も逝ってしまった・・・・
 こんな犠牲を払っても、それでも彼等は遠征をやめない、それほどの魅力があるらしい実業団活動、恐ろしい・・・・